歴史散歩

2013年01月25日

藤沢七福神めぐりに行ってみた〜後半。

感応01

前回に続き藤沢七福神めぐりの後半です。

後半最初は三島山瑞光密寺 感応院 七福神めぐりは寿老人。

感応院は源頼朝が静岡の三島から三嶋神社を勧請したのが始まりといわれ、1218年(建保6年)の創建で藤沢宿では最も古い寺といわれています。
藤沢橋から戸塚方面に向かってすぐ、大船入口交叉点手前右手の少し奥まったところに感応院は建っています。
こちらでお参りをして寿老人のスタンプをもらいます。
境内には頼朝が建てたとされている三嶋大明神の社があり、堂が回転するように造られているそうです。

感応03

ちょっと回してみたかった(^_^;)

三島山瑞光密寺 感応院
神奈川県藤沢市大鋸2-6-8
.


諏訪01

次は大黒天・遊行坂の諏訪神社です。

遊行寺と旧東海道を挟んで向かいの東側。
鳥居をくぐったら石段を登ると社殿があります。

諏訪02

左手の建物内には祭りで使う四神剣とともに大黒天が安置されていてガラス越しに見ることが出来ます。

スタンプは階段中ほどにある社務所の前で捺すことができます。

諏訪神社
神奈川県藤沢市大鋸3-7-2



龍口01

次は日蓮上人ゆかりの寂光山 龍口寺 七福神めぐりは毘沙門天

龍口寺は江ノ電江ノ島駅と湘南モノレール江の島駅の近くにある日蓮宗のお寺です。
山門を抜けて石段を登ると天保3年(1832年)に建てられた大きな本堂が見えて来ます。
右手には五重塔、旧松代藩の藩邸を移築した大書院、背後の山には仏舎利塔のある大きな寺院です。

この地はかつて刑場跡で文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった龍ノ口法難という事件があり、そこに寺院が建てられたということです。

本堂左手にはその際に日蓮上人が入れられたという土牢も御霊窟といわれて残されています。
七福神めぐりは毘沙門天。

門前には江ノ電が通って行きます。

龍口02


寂光山 龍口寺
神奈川県藤沢市片瀬3-13-37




江島01

いよいよラスト、島の弁天様・江島神社。

片瀬江ノ島から橋を渡り江の島に入って銅の鳥居をくぐり、まっすぐ登って行くと赤い鳥居の先に瑞心門が見えます。
石段を登りこの門をくぐって更に右手に登って行くと建永元(1206年)源実朝が創建した辺津宮があり、その左手に弁財天をまつる奉安殿が有ります。
ここでスタンプを押します。

ここを訪問するのには人によってはちょっと階段がキツイですが、楽をするならエスカー(有料エスカレーター)も利用できます。(^_^;)


江島神社
神奈川県藤沢市江の島2-3-8


藤沢七福神めぐり完歩!
七福07


御利益あるといいな。

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2013年01月24日

藤沢七福神めぐりに行ってみた〜前半。

養命寺01

さて、前回藤沢七福神めぐりを紹介してみましたが、今回は歩いた航跡をご紹介しましょう。

ちょうど1月半ばの連休2日目、お天気も良く暖かい休日でした(その翌日は雪で交通が大混乱でしたね)。
最初はそんなに人がいないのかと思っていたら〜予想よりかなりたくさんの人々が巡っていました。

ではさっそく〜最初の寺は布袋さま・旧東海道沿いに建つ曹洞宗のお寺「養命寺」

メルシャンの東隣りにあります。
1570年(元亀元年)に創建されたと伝えられていて、本尊は1197年(建久8年)の銘をもつ薬師如来坐像。
源頼朝に仕えた大庭景能の子である大庭景兼の守護仏であったと伝えられていて、国指定重要文化財となっています。
七福神は布袋様がまつられています。

曹洞宗 引地山 養命寺
藤沢市城南4-10-35



皇大神宮01

次は恵比寿・鵠沼の明神さま・皇大神宮です。

鵠沼皇大神宮ともお神明さま、烏森のお宮とも呼ばれる皇大神宮の歴史は古く、832年(天長9年)創立といわれていて、元の同地にある延喜式内社である石楯尾(いはだてを)神社の鎮座地に建てられたと伝えられています。
8月17日の例大祭には人形の載った山車9台が勢ぞろいします。

境内に恵比寿をまつる境内社があり、七福神めぐりは皇大神宮とともにそちらにお参りしてスタンプを押します。

皇大神宮
神奈川県藤沢市鵠沼神明2-11-5



白旗01

次は毘沙門天・源義経由来の白旗神社。

旧東海道の藤沢本町、白旗の交叉点を北上すると右手に鳥居と小高い所にまつられた社が見えて来ます。
白旗神社の創立年代不詳。
元は寒川神社を勧請した寒川神社だったということですが、宝治3年(1249年)に源義経が合祀され白旗明神、白旗神社となったそうです。
近くに伝源義経公首洗井戸があり、腰越浦での首実検の後、境川に捨てられ流れ着いた義経の首がこの地に葬られたと伝えられています。
名称の由来は源氏の旗が白旗であったことから。

境内には「弁慶の力石」というのがあります。
昔は神社西側の茶屋前に置かれ、茶屋で一服する客の力自慢が元上げて力比べをしたといわれているそうです。

白旗02

また、神石としてふれると健康になるといわれています。
もちろん撫でて来ました(^_^;)

白旗神社
神奈川県藤沢市藤沢2-4-7



常光寺01

次は藤沢宿の古いお寺・八王山摂取院 常光寺・福禄寿

旧東海道藤沢宿の藤沢橋〜白旗間はの古い建物が残る地域です。
そんな通り沿い、藤沢消防署の本町出張所の横を入って行くとあるのが常光寺。
静かな佇まいの寺林や石碑など宿場町の寺の名残がよく残っています。

常光寺
神奈川県藤沢市本町4丁目5−21
.

さて、次回は後半4寺社です。

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2011年07月09日

中宿歴史公園の古代蓮 埼玉県深谷市岡


古代倉庫

深谷市の国道17号バイパス沿いにある道の駅おかべのすぐ横に「中宿歴史公園」があります。

古代倉庫が復元保存されていたりします。

仕事で近所までやって来たのですが、早朝到着して時間があったので寄り道してみました。

池には古代蓮がたくさん咲いていました。

蓮3


蓮4


蓮1


蓮2


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2011年05月03日

八幡山の洋館・旧横浜ゴム平塚製造所記念館


八幡山洋館-3

平塚の八幡山公園内に移築保存されている「旧横浜ゴム平塚製造所」。

明治期の木造建築物は国の登録有形文化財に指定されています。

前回のサッカー観戦の時にも訪れたのですが、今回は早い時間帯だったので内部を見学させていただきました。

外観も屋根の様式や窓枠などかなり凝った建築物なのですが、中も天井が高くて豪華になっています。

奥の応接室。

八幡山洋館内部-1

暖炉も備わっています。

八幡山洋館内部-2

グランドピアノが似合いますね。



開館時間午前9時00分〜午後9時30分

休館日毎週月曜日(休日の時は翌平日)
12月29日〜1月3日

入館料無料





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2011年03月05日

小川町の街並み 埼玉県比企郡小川町


蔵

古い街並みを眺めに小川町に行って来ました。

ここは昔から何回も車はバイクで通過していて、いつかは歩いてみたい街並みだと思っていたのですが、だんだん古い建物も減ってきて早く行ってみなければ〜と思い今回やっと実現しました。

街道沿いに位置する街なので結構大きな木造建築の旅館や店舗、蔵などがあります。

駅近くの鰻屋「女郎うなぎ・福助」。
女郎うなぎ

立派な破風屋根のついた堂々とした入口の建物。
以前から前を通って気になっていました。

元宿

街道沿いにはこんな建物も残っています。
元は商人宿かなにかを営んでいたのかもしれません。

大きな蔵も多く、大谷石で造られた蔵をいくつも見ることが出来ます。

蔵2

いかにも関東的な風景ですね。

こちらは手前が教会、隣は蔵のある立派な商家の裏手です。

教会と蔵


ここに重厚なトマソン物件がありました。
無用門

大谷石の塀に立派な「無用門」(笑)
あまり立派なので最初は本当に使われているのかと思いましたが、やはり無用門のようです。

ロケタッチでは小川町蔵造り無用門として登録しました。

夕方まで街並みをぶらぶらと散歩して来ました。

軒下


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2010年11月12日

青塚古墳 長野県下諏訪町


青塚 石室

温泉の街・下諏訪にある古墳「青塚古墳」。

霧ケ峰方面から下った下諏訪の街を望む台地上にある諏訪地方唯一の前方後円墳。
同じ台地上の中心には諏訪大社の下社秋宮が鎮座しており、青塚も同社の所有地内にあります。

旧中山道にも近い緩斜面地にあり、前方部が南南東に向いた墳丘で後円部に安山岩の自然石の乱石積み石室が西側を向いて開口しています。
石室は羨道部が失われていて、天井石も露出していて墳丘上から規模を実感する事ができます。
埴輪を伴う古墳ということで円筒形埴輪片が出土しているそうです。

墳丘裾に設置された長野県教育委員会の案内板には主軸長67m・前方部幅42.8m・後円部径33.4mと書かれています。

墳丘のくびれ部分西側には青塚社という社が祀られていて、ここに教育委員会設置の案内板と県史跡の石柱も設置されています。

墳丘には登ることが出来て古墳の規模を実感することができます。

▼後円部から前方部を望む。左裾に見えるのが青塚社。
青塚 後円部から前方部

▼前方部から後円部を望む。中央の大きな木の右側に石室の天井石が露出しています。
青塚 前方部から


墳丘上北東の山を望むと晩秋の晴れ空に紅葉する山が見えていました。
青塚 眺め


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2010年02月09日

寒川歴史散歩 十三塚とたいやき

おこり塚

寒川の遺跡見て歩き、次は前から通るたびに気になっていた十三塚というのを見に行ってきました。

十三塚は、日本各地に分布する民間信仰による土木構造物です。
起源は定かではありませんが、13人の落武者を葬ったとか埋蔵金を埋めたとかいう伝承が多いそうです。
一般には13基の高塚で構成されていますが、必ず13というわけではなくいようです。
当地の十三塚も元々は15基の塚で構成されていたとの事。
主要地方道丸子・中山・茅ヶ崎線に沿って塚がほぼ直線に並んでおり、現在は5基ほどが残っています。

上の写真は最大規模の塚で小谷交差点南側にある「おこり塚」とよばれるものです。
塚を盗掘した者が瘧(おこり)という病にかかったという言い伝えが名称の起源のということ。
昭和62年に発掘調査が行われていて、中世から戦国時代頃に造られたらしいです。

おこり塚と道路を挟んだ向かい側の駐車場の隅に隣の家の裏に隠れるようにして「小僧塚」があります。

小僧塚


通りを寒川駅方面にもう少し進むともう1基、名前はわかりません。

無名塚


地図上では小僧塚の隣にもう1基あるはずなので見に行ってみると・・・・・・・・・・・・

以前に行った日本一たいやきのお店でした(笑)

せっかくなのでおやつはたいやきに。

たいやき


美味い。

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2010年02月08日

寒川歴史散歩 大神塚古墳

富士山

昨日は平塚に行きましたが、その途中で寒川町辺りをぶらぶら、遺跡などを見て廻りました。
上の写真は平塚と寒川との境、相模川に掛かる神川橋から見た富士山。
裾の近くまで雪化粧になっています。
午後なので光線の加減でボケて見えますね。
午前中だとかなりキレイに見えます。

さて、訪れたのは寒川駅から北に700m位、安楽寺というお寺の裏にある小高い丘の上にある「大神塚」という古墳です。

大神1

全長約50m、後円部の径30m、高さ約5mという規模の帆立貝形前方後円墳。
明治41年に発掘調査が行われ、和鏡、漢鏡、直刀などが出土しているそうです。

お寺の境内という事もあり、ある程度整備された墳丘に登る事が出来ます。

▼後円部墳頂から短く特徴的な前方部を望む。
大神2

いわゆる鍵穴形の前方後円墳よりも前方部が短く低いのが特徴です。
帆立貝形のものは前方後円墳の中でも古い形式のものと言われ、5世紀前半の造営といわれています。

昔はこの周辺には他にも古墳があったいう事でした。
今に残る当時の権力者を葬った古墳、現代にもその勢力を表しているようでした。

▼寒川神社の参道に咲いていた梅
梅


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2009年09月19日

鶴岡八幡宮・流鏑馬の神事 鎌倉

流鏑馬1
水曜日に鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた流鏑馬神事を見て来ました。

狩装束の射手が一直線に馬を走らせながら鏑矢で3つの板の的を射る流鏑馬神事は、豪快さと繊細さを求められる騎乗の妙技で、射手が駆け抜ける姿は見ていても豪快です。

当日は晴れ、遅く行ったので混んでいて見られないかと思いましたが、スタート地点近くに空きがあって、なんとか見ることが出来ました。

駆け抜ける射手。ちょうど1の的を射た直後です。
流鏑馬2


流鏑馬3


向かい側に見えるのは招待席、あちらだと的を射る瞬間が見えますが、こちらからは的はちょうど右手のかげ。

射手は射た後にスタート地点に戻って来ますが、その時はゆっくり来るので馬上の装束がよく見られます。
装束1


装束2


これが的の台です。
的


この道を馬に乗った射手が駆け抜けるのです。
道


実は生で観たのは初めてですが、なかなか見事なものでした。

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2009年09月05日

静岡県三島 山中城址散歩

山中城1
静岡県の三島に行ってまいりました。
箱根峠を越えて国道1号線を通って行ったのですが、以前から三島への下りの途中にある「山中城址」というのが気になっていたので、今回寄ってみることにしました。

案内板によるとこの城は、永禄年間(1558年〜1570年)に北条氏康により築城された北条氏の本拠地小田原の西の防衛を固める重要拠点でした。

車を駐車場に止めて入ります。
整備されていて歩きやすい道を掘りや池を見ながら登ります。
まだまだ夏の暑い日でしたが、木々が生い茂っていることと、標高も高い位置ですので涼しくて気持ちよくに歩くことが出来ます。

途中にある空掘りはこんな感じ。
山中城の堀

途中には適度に案内板も設置されています。

しばらく上ると開けた所にでました。
そこで撮ったのが、最初の写真です。
ちょっと雲がかかっちゃっていますが夏の富士山。


ところで駐車場にあるトイレに入った時にこんな貼り紙が。
犬は

つっこみどころ満載のこの貼り紙ですが(笑)
こんなのが貼られていた所を見るとホントに犬を洗う人がいるのでしょう。
しかも一度や二度ではないのかも。

しかし洗面所とはいっても小さな流しひとつだけしかありません。
もしかしてチワワのような小型犬なのか(^_^;)

山中城址・livedoor地図

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