歴史散歩
2009年05月31日
立川 川越道緑地古民家園・旧小林家住宅
川越へオートバイで向かう途中にいつも通る道沿いに古い民家が保存されています。
いつも気になっていたので今回は立ち寄ってみました。
ここは川越道緑地古民家園という施設で、保存されている家屋は旧・小林家住宅という建物。
旧小林家住宅は旧砂川9番にあった江戸時代末期(1852年)に建築された農家の住宅で立川市指定の有形文化財に指定され、現在位置に移築保存されています。
平日午前中の比較的早い時間に訪れると、他に見学者はいないひっそりとした状態で当時の家を体験することが出来ました。外は暑い日差しの日でしたが、室内はひんやりと涼しい空気が満ちていて、囲炉裏には火が入れられて鉄瓶が掛けられていました。
以前に他の保存家屋で係りの人に、囲炉裏に火を入れて適度に燻すことで家の保守と防虫になる事を教わりましたので、こちらでもそのような目的で人の少ない時間帯に火を入れているのかもしれません。
ひっそりとした座敷を見ながら縁側沿いに奥の座敷にまわってみると、開け放たれた空間に涼しい風が抜ける気持のよさそうな座敷になっていました。
う〜ん、昼寝してみたい(笑)
時間があまりなかったのでざっとではありますが見学いたしました。
思ったより立派な家で、今度はゆっくりと訪れて座敷にもあがってみたいと思います。
川越道緑地古民家園
東京都立川市幸町4-65
開園 9時から16時30分 休日: 月曜日(祝日・振替休業日の場合は翌日)
(川越道緑地古民家園・livedoor 地図情報)
▼旧小林家住宅内の囲炉裏端
2009年02月22日
川越 古墳巡り
昨日はお天気も良く散歩日和、市内南部にある古墳でも見て来ようかと出掛けてきました。
古墳は古代、その地方の有力者の墓ですが、川越には南大塚周辺や今回歩いた市街南東部にも点在しています。
まずは富士見町の浅間神社古墳を目指します。
場所は川越駅から南へ歩き、国道16号と254号の交差点に程近い場所にあります。
別名を母塚と呼ばれ(何故か説明板では父塚)、直径38mとわりに大きな規模の円墳は六世紀中頃の造営。
墳頂には、その名のとおり浅間神社が祀られています。
浅間信仰の社ですから社殿の裏手には溶岩で富士山火口を模した物もありました。
すぐ前を通る国道16号には歩道橋があり、少し高い位置から古墳の全容を見る事が出来ます。
この歩道橋で国道を渡って少し歩くと愛宕神社古墳があります。
愛宕神社古墳はやはり墳頂に愛宕神社の社殿が祀られていてその名の由来となっています。
こちらは先ほどの浅間神社古墳の母塚に対して父塚と呼ばれる円墳で、南北が53m東西が30mの少し変形した形になっていて、新河岸川東南端の台地際の崖上に位置しています。
造営はやはり六世紀中頃のようです。
愛宕神社古墳の脇から下に降りる道があり、下は仙波河岸史跡公園になっています。
園内には水鳥が集まる大きな泉があり、水際に木製のテラス様の木道か整備されています。
しばしその木道の日差しの中で水鳥を眺めながらひと休み。
この公園の入口の前から国道をくぐって右手に登ると氷川神社があります。
この神社の境内、鳥居の右手には氷川神社古墳があります。
この古墳は直径15m高さ2mと他の2基より小型ですが、神社の境内にあるためによく残っています。
造営時期等は不明です。
墳丘の規模を示すようにぐるりと緑の植え草が廻っていて、この上で遊ばないようにとの看板も建てられていて保存されています。
今回歩いた大仙波古墳群とよばれ、新河岸川右岸の仙波台地東南端に位置しています。
帰りはそこから北に歩いて、途中で無人販売所で蕪を買ったり、中院で梅を眺めたりしながらのんびり帰って来ました。
そういえば途中で通り抜けた喜多院の東照宮も慈眼堂古墳という前方後円墳でした。
2008年10月08日
江の島道散歩と新林公園
先日、藤沢から江の島までの古道「江の島道」を歩いて来ました。
前回の神光寺横穴古墳訪問時に合わせてほんの一部ですが散歩してみました。
藤沢駅南口からは古墳に寄り道のために東海道線の線路沿いに大船方面へ。
途中で戸塚方面からの柏尾川と出会ったら車道を離れて川沿いに鎌倉方面へ。
川をのぞくとたくさんの大きな鯉と何羽ものカモ(鳥は詳しくないのでわかりませんがカルガモ?)がいました。
持ってきたパンをあげると鯉と争って食べています。
均等にすべての鳥にあげるのはむずかしい。
もう少し川沿いを行くと対岸の小さな砂州の斜面にたくさん亀が上がって甲羅干しをしています。
見ていると目の前を鮮やかなブルーに輝く鳥が横切ります。
凄い勢いで飛んで行くこの鳥はカワセミです。
あまりキレイではない川と思っていましたが、結構色々な生き物がいるのですね。
そういえば以前には境川の少し上流でカワウも見かけました。
さて、川を離れて古墳見学後に少し戻って江の島道へ。
少し歩くと「新林公園」があります。
この公園は入口の芝地と古い家屋「小池家」、それに湿地と池があり、それを取り囲むように片瀬丘陵の丘が廻っていて遊歩道も整備されています。
この公園内の移築保存された家屋「小池家」は藤沢市のホームページの紹介記事によると江戸時代には名主をつとめた柄沢の旧家で、建物は天保12年(1841年)に棟上げされたものです。
桁行18.7m、梁間10.9m、建築面積52坪の寄棟造、茅葺屋根の風格ある建物です。
因みにこの建物の公園入口側には現在長屋門の復元整備工事もおこなわれているようです。
この建物の前の梅の木の下でお弁当にします。
のんびりと食べて持参したビールをのんでいるとこんな訪問者が(笑)
この猫、最初は警戒していましたが、おかずの味の濃くない物をあげると寄ってきます。
なんだか前歯が無いのか、舌がぺロッと出ているのがご愛嬌。
終いにはすぐ近くでいっしょにのんびりしていました。
しかし子供の声がするとビクビクしどおしで、追いかけ回されたりとか結構怖い思いをしたのに違いない感じでした。
子供は悪気は無いけれど、容赦ないからなぁ〜(笑)
お弁当を食べ終わって、昼寝までしちゃってから、再び江の島道へ。
かなり入り組んで狭い路地を歩いて行きますが、途中には昔立てられた石の道標が立っています。
街並みも新しい建物の中に古い建築物も多く残っていて、懐かしい路地裏という感じで歩いていて楽しい。
途中でこんな床屋さんがありました。
古い造りの建物ですが、最近廃業されたようで、告知の貼り紙が貼られておりました。
窓の桟などが細かい細工の造りで良い感じです。
ここも早晩に無くなってしまうのでしょうね。
その先は商店が集まった地域になっていて、魚屋さんの前に道路の左右建物の2階に渡されてヨシズが張られている自家製アーケード風のところを抜けるとすぐに湘南モノレールの湘南江の島駅が見えてきます。
帰りは江ノ電で江ノ島駅から藤沢まで。
近くののんびり散歩も終わりです。
▼乗ってきた江ノ電が折り返し鎌倉に向けて出発進行!
前回の神光寺横穴古墳訪問時に合わせてほんの一部ですが散歩してみました。
藤沢駅南口からは古墳に寄り道のために東海道線の線路沿いに大船方面へ。
途中で戸塚方面からの柏尾川と出会ったら車道を離れて川沿いに鎌倉方面へ。
川をのぞくとたくさんの大きな鯉と何羽ものカモ(鳥は詳しくないのでわかりませんがカルガモ?)がいました。
持ってきたパンをあげると鯉と争って食べています。
均等にすべての鳥にあげるのはむずかしい。
もう少し川沿いを行くと対岸の小さな砂州の斜面にたくさん亀が上がって甲羅干しをしています。
見ていると目の前を鮮やかなブルーに輝く鳥が横切ります。
凄い勢いで飛んで行くこの鳥はカワセミです。
あまりキレイではない川と思っていましたが、結構色々な生き物がいるのですね。
そういえば以前には境川の少し上流でカワウも見かけました。
さて、川を離れて古墳見学後に少し戻って江の島道へ。
少し歩くと「新林公園」があります。
この公園は入口の芝地と古い家屋「小池家」、それに湿地と池があり、それを取り囲むように片瀬丘陵の丘が廻っていて遊歩道も整備されています。
この公園内の移築保存された家屋「小池家」は藤沢市のホームページの紹介記事によると江戸時代には名主をつとめた柄沢の旧家で、建物は天保12年(1841年)に棟上げされたものです。
桁行18.7m、梁間10.9m、建築面積52坪の寄棟造、茅葺屋根の風格ある建物です。
因みにこの建物の公園入口側には現在長屋門の復元整備工事もおこなわれているようです。
この建物の前の梅の木の下でお弁当にします。
のんびりと食べて持参したビールをのんでいるとこんな訪問者が(笑)
この猫、最初は警戒していましたが、おかずの味の濃くない物をあげると寄ってきます。
なんだか前歯が無いのか、舌がぺロッと出ているのがご愛嬌。
終いにはすぐ近くでいっしょにのんびりしていました。
しかし子供の声がするとビクビクしどおしで、追いかけ回されたりとか結構怖い思いをしたのに違いない感じでした。
子供は悪気は無いけれど、容赦ないからなぁ〜(笑)
お弁当を食べ終わって、昼寝までしちゃってから、再び江の島道へ。
かなり入り組んで狭い路地を歩いて行きますが、途中には昔立てられた石の道標が立っています。
街並みも新しい建物の中に古い建築物も多く残っていて、懐かしい路地裏という感じで歩いていて楽しい。
途中でこんな床屋さんがありました。
古い造りの建物ですが、最近廃業されたようで、告知の貼り紙が貼られておりました。
窓の桟などが細かい細工の造りで良い感じです。
ここも早晩に無くなってしまうのでしょうね。
その先は商店が集まった地域になっていて、魚屋さんの前に道路の左右建物の2階に渡されてヨシズが張られている自家製アーケード風のところを抜けるとすぐに湘南モノレールの湘南江の島駅が見えてきます。
帰りは江ノ電で江ノ島駅から藤沢まで。
近くののんびり散歩も終わりです。
▼乗ってきた江ノ電が折り返し鎌倉に向けて出発進行!
2008年10月07日
藤沢市川名 神光寺横穴古墳群
先日の日曜に藤沢の南側鎌倉市との境近くの川名にある「神光寺横穴古墳群」を見てきました。
横穴古墳は横穴墓ともいわれる古墳時代〜奈良時代にかけて造られた墳墓です。
日本各地にありますが、神奈川県では横浜市青葉区の市ヶ尾や平塚にもあるようです。
藤沢駅から鎌倉・大仏方面への道をまっすぐ南に向い、釣具の上州屋の先の信号を右に入ります。
この右に入る路地は2又で2本ありますが、手前側の方に鋭角にはいります。
しばらく行くと右手に川名・御霊神社があり、さらに進むと右手に神光寺があります。
このお寺の先の角を右に入るとすぐにお寺の駐車場があり、その後ろ側の切り立った壁面に神光寺横穴古墳群があります。
傍らには藤沢市教育委員会が設置した標柱と説明版が立っています。
横穴は急な斜面というか壁面に開いていますが、今は草が延びていて確認しづらい状況になっています。
秋だと思って安心して来たのですが、まだまだ早かったようです。
やはり古墳めぐりは冬が良いようで・・・・・・・・・・
比較的見やすい穴を斜面を登って見てみました。
きれいに開口した横穴墓の奥壁側に特徴的な高棺座が見えます。
説明版によると7基が確認されているようですが、なんとか3基の開口がみえる、お隣の家の間から2基が見える?やはり草が邪魔でした。
この古墳は片瀬丘陵の南側に位置しますが、同丘陵には100基以上の横穴古墳があるということでした。
そういえば昔は山側の高層住宅がなくて山肌に開口した横穴も見えた記憶があります。
やはり遺跡もだんだん失われているのでしょうか。
また近日中に片瀬山の遺跡をめぐって見ようかと思っています。
(神光寺横穴古墳群・livedoor 地図情報)
横穴古墳は横穴墓ともいわれる古墳時代〜奈良時代にかけて造られた墳墓です。
日本各地にありますが、神奈川県では横浜市青葉区の市ヶ尾や平塚にもあるようです。
藤沢駅から鎌倉・大仏方面への道をまっすぐ南に向い、釣具の上州屋の先の信号を右に入ります。
この右に入る路地は2又で2本ありますが、手前側の方に鋭角にはいります。
しばらく行くと右手に川名・御霊神社があり、さらに進むと右手に神光寺があります。
このお寺の先の角を右に入るとすぐにお寺の駐車場があり、その後ろ側の切り立った壁面に神光寺横穴古墳群があります。
傍らには藤沢市教育委員会が設置した標柱と説明版が立っています。
横穴は急な斜面というか壁面に開いていますが、今は草が延びていて確認しづらい状況になっています。
秋だと思って安心して来たのですが、まだまだ早かったようです。
やはり古墳めぐりは冬が良いようで・・・・・・・・・・
比較的見やすい穴を斜面を登って見てみました。
きれいに開口した横穴墓の奥壁側に特徴的な高棺座が見えます。
説明版によると7基が確認されているようですが、なんとか3基の開口がみえる、お隣の家の間から2基が見える?やはり草が邪魔でした。
この古墳は片瀬丘陵の南側に位置しますが、同丘陵には100基以上の横穴古墳があるということでした。
そういえば昔は山側の高層住宅がなくて山肌に開口した横穴も見えた記憶があります。
やはり遺跡もだんだん失われているのでしょうか。
また近日中に片瀬山の遺跡をめぐって見ようかと思っています。
(神光寺横穴古墳群・livedoor 地図情報)
2008年08月10日
静岡県富士市 古墳巡り
富士市にて岳南鉄道を見に行った際に近くの古墳のいくつかも合わせて見学してきました。
まずは比奈駅から北に行ったところにある大坂上古墳を目指します。
これは会社の車に載っていた普通の道路地図に載っていました。
吉原工業高校の上らいしので行ってみるが発見できない。
ぐるぐる廻ってみたが古い地図だったので地図に載って無い教習所や道路が隣接している。
もしや無くなったのか?
あるいは学校内なのか〜最近は学校内だと見学は遠慮してしまう〜不審者と思われても困るし。
結局、諦めて帰ってから調べたら学校敷地ではあるが見学できる場所に現存しているらしいことが分かりました。
次に国の指定史跡となっている浅間古墳に向かいます。
県道22号線沿いの福聚院というお寺の入口の路地に古墳の看板もありました。
お寺を右に見て坂を登り、東名高速沿いに出たら右に行ってすぐの橋を渡り、また左に行くとすぐに浅間古墳があります。
入口には赤い鳥居がたっていて、そこから少し登ると浅間古墳の墳丘があります。
国指定遺跡の石柱と説明版が立っています。
この古墳は規模が約100m、前方後方墳という少し珍しい墳形をしています。
未調査ですが、4世紀末から5世紀初頭に造られた古墳時代前期のものと推定されています。
古墳は海抜50mの丘の上に位置していて、海側に景色の開けたすごく見晴らしのいい場所でした。
(浅間古墳・livedoor 地図情報)
さて次は海方向に田圃の中をひた走り、国道1号線も越えた東海道本線沿いにある2つの古墳に向かいます。
東田子の浦駅から東へ少し行った線路の山側に庚申塚古墳があります。
この古墳は双方中方墳というごく希少な墳形をした古墳です。
墳丘にはわずかに葺石もみとめられます。
ただ、樹が生い茂った状態の夏の古墳ですので、その形を実感することは出来ませんでした。
(庚申塚古墳・livedoor 地図情報)
さらに東海道線沿いを東へ150mほど。
途中に小さな踏切を挟んで山の神古墳があります。
この古墳は前方後円墳。
やはり樹が生い茂って全容を掴むことはできません。
この時は案内板を見落としていたのですが、線路沿いの小道を行くとちゃんと案内板が設置されています(帰ってきて写真を見て気がつきました、あちゃ〜)。
この古墳は調査されていて、埴輪も出土しているということでした。
(山の神古墳・livedoor 地図情報)
なんだか駆け足でしたが、久々に古墳巡りをすることが出来て良かったです。
ただ、午前中待機の影響で仕事が深夜に及んでしまったのには参りました(泣)
まずは比奈駅から北に行ったところにある大坂上古墳を目指します。
これは会社の車に載っていた普通の道路地図に載っていました。
吉原工業高校の上らいしので行ってみるが発見できない。
ぐるぐる廻ってみたが古い地図だったので地図に載って無い教習所や道路が隣接している。
もしや無くなったのか?
あるいは学校内なのか〜最近は学校内だと見学は遠慮してしまう〜不審者と思われても困るし。
結局、諦めて帰ってから調べたら学校敷地ではあるが見学できる場所に現存しているらしいことが分かりました。
次に国の指定史跡となっている浅間古墳に向かいます。
県道22号線沿いの福聚院というお寺の入口の路地に古墳の看板もありました。
お寺を右に見て坂を登り、東名高速沿いに出たら右に行ってすぐの橋を渡り、また左に行くとすぐに浅間古墳があります。
入口には赤い鳥居がたっていて、そこから少し登ると浅間古墳の墳丘があります。
国指定遺跡の石柱と説明版が立っています。
この古墳は規模が約100m、前方後方墳という少し珍しい墳形をしています。
未調査ですが、4世紀末から5世紀初頭に造られた古墳時代前期のものと推定されています。
古墳は海抜50mの丘の上に位置していて、海側に景色の開けたすごく見晴らしのいい場所でした。
(浅間古墳・livedoor 地図情報)
さて次は海方向に田圃の中をひた走り、国道1号線も越えた東海道本線沿いにある2つの古墳に向かいます。
東田子の浦駅から東へ少し行った線路の山側に庚申塚古墳があります。
この古墳は双方中方墳というごく希少な墳形をした古墳です。
墳丘にはわずかに葺石もみとめられます。
ただ、樹が生い茂った状態の夏の古墳ですので、その形を実感することは出来ませんでした。
(庚申塚古墳・livedoor 地図情報)
さらに東海道線沿いを東へ150mほど。
途中に小さな踏切を挟んで山の神古墳があります。
この古墳は前方後円墳。
やはり樹が生い茂って全容を掴むことはできません。
この時は案内板を見落としていたのですが、線路沿いの小道を行くとちゃんと案内板が設置されています(帰ってきて写真を見て気がつきました、あちゃ〜)。
この古墳は調査されていて、埴輪も出土しているということでした。
(山の神古墳・livedoor 地図情報)
なんだか駆け足でしたが、久々に古墳巡りをすることが出来て良かったです。
ただ、午前中待機の影響で仕事が深夜に及んでしまったのには参りました(泣)
2007年03月04日
堤十二天古墳群
茅ヶ崎市のはずれの藤沢市との境に近い堤にある十二天古墳群を見学して来ました。
ブログ名にもあるように古墳・史跡巡りもやるんですが、実に久しぶりになってしまいました(^_^;)
堤十二天古墳群は前方後方墳の1号墳と円墳の2号墳の2基からなる古墳群です。
昨年夏に兵庫県の五色塚古墳を訪れてから久々の古墳見学です。
やはり本の紹介記事ではなく実際の遺跡を歩いてみるのはいいもんです。
その立地や周辺環境もよくわかります。
やはり実際に歩いてみないとね。
実は今の時期は古墳巡りには最適な季節です。
なぜなら夏場には生い茂ってしまう草や樹木も今は冬枯れで古墳の形状などがつかみやすい、さらに墳丘に登ってみることも出来ます(もちろん立ち入り禁止の所を除きます)。
それに蚊がいない!
これが実はかなり重要です(*^-^)b
しかしこの季節………辛い……実は私は花粉症なんです(T_T)
あぁ、ツライっす。
ブログ名にもあるように古墳・史跡巡りもやるんですが、実に久しぶりになってしまいました(^_^;)
堤十二天古墳群は前方後方墳の1号墳と円墳の2号墳の2基からなる古墳群です。
昨年夏に兵庫県の五色塚古墳を訪れてから久々の古墳見学です。
やはり本の紹介記事ではなく実際の遺跡を歩いてみるのはいいもんです。
その立地や周辺環境もよくわかります。
やはり実際に歩いてみないとね。
実は今の時期は古墳巡りには最適な季節です。
なぜなら夏場には生い茂ってしまう草や樹木も今は冬枯れで古墳の形状などがつかみやすい、さらに墳丘に登ってみることも出来ます(もちろん立ち入り禁止の所を除きます)。
それに蚊がいない!
これが実はかなり重要です(*^-^)b
しかしこの季節………辛い……実は私は花粉症なんです(T_T)
あぁ、ツライっす。
2006年12月25日
氷川丸と横浜マリンタワー、公開終了
本日2006年12月25日で横浜マリンタワーと氷川丸の公開・営業が終了しました。
横浜の観光地といえば皆ココを思い出すほどメジャーな施設でしたが、みんないちどは行ったことがある施設故、最近は入場者数も減っていたそうです。
私も地元神奈川在住ですが、あまり行ったことが無かったです。
ここ数年は冬のマリンタワーに夕方の日没と夜景を見に行ったりしていましたが、やはりランドマークタワーに客が流れてしまったのでしょうかね。
氷川丸も知人が結婚披露宴をしたりして、なんとなくなじみがあったのですがあまり中に入場する事はありませんでした。
先日、もう最後ということで見納めに行ってまいりました。
両方の施設とも最後と言うことで入場料金も安くなっていて、結構たくさんのひとが来場していました。
まずは氷川丸、古くなっていますが、さすがに古くなっていますが「北大西洋の女王」と云われただけあって凝った造りですね。
エンジンルームはなんとなく映画「Uボート」を思い出しました。
結構展示も多くて見どころ満点です。
公開終了後は日本郵船に譲渡されるそうですが、どうなることかと思っていましたら2007年中完成をめどに係留施設など保存のための補修工事をするそうです。
個人的には日本郵船博物館が移転してきたらいいのにな、とも思いました。
日本郵船・氷川丸関連ニュースリリース
マリンタワーは上の展望台でコーヒーでも飲もうと思ったのですが、もう喫茶は営業していなくて自販機のカップコーヒーで間に合わせました。
マリンタワー、私的にはこのくらいの高さだとかえって横浜港の景色は良い感じもします。
ちなみに世界一高い灯台として今でもギネスブックに載っているそうです。
しかしこの2施設、中華街や元町にも近くて人を案内するには良い立地だったですね。
(横浜マリンタワー・livedoor 地図情報)
2006年10月14日
厚木−伊勢原・古墳散歩
先日、伊勢原の日向から厚木七沢にかけての小古墳を見て歩きました。
神奈川の古墳散歩という本で調べて見て廻ったのですが、畑地の端にやっと残っているという感じの古墳が多かったです。
知らなければただの耕作地残土の盛り土としか見えないものが多かったです。
新田古墳群に属するこの古墳は果樹園の棚の端に細長く変形して残っています。
石室の石材が一部剥き出しになっています。
この古墳も新田古墳群の1基ですが、畑と道路の脇にかなり石室石材が露出しています。
近所の方でも古墳と意識されていないのではないでしょうか?
墳丘一面に曼珠沙華が生えていました。
調べましたら彼岸花ともいわれるこの花は帰化植物でほとんど自生ではなく植えられたものらしいので、この塚に生える曼珠沙華も塚として認識されていた時分に植えられたものなのでしょう。
厚木市小野の島残古墳群の1基です。
駐車場と畑の横にあります。
墳丁に何かの碑が建っているようですが草生してわかりません。
他にも住宅と畑地がいりくんだ土地の駐車場脇や農家の築山として墳丘が残存しています。
神奈川の古墳散歩という本で調べて見て廻ったのですが、畑地の端にやっと残っているという感じの古墳が多かったです。
知らなければただの耕作地残土の盛り土としか見えないものが多かったです。
新田古墳群に属するこの古墳は果樹園の棚の端に細長く変形して残っています。
石室の石材が一部剥き出しになっています。
この古墳も新田古墳群の1基ですが、畑と道路の脇にかなり石室石材が露出しています。
近所の方でも古墳と意識されていないのではないでしょうか?
墳丘一面に曼珠沙華が生えていました。
調べましたら彼岸花ともいわれるこの花は帰化植物でほとんど自生ではなく植えられたものらしいので、この塚に生える曼珠沙華も塚として認識されていた時分に植えられたものなのでしょう。
厚木市小野の島残古墳群の1基です。
駐車場と畑の横にあります。
墳丁に何かの碑が建っているようですが草生してわかりません。
他にも住宅と畑地がいりくんだ土地の駐車場脇や農家の築山として墳丘が残存しています。